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性善説とエレベーター

どちらかといえば性善説な立場であるが、それは悪意は後天的に成長するものであるという意味であり、むしろ善は天然であるがゆえに弱いという立場に立つ。
先天性善と後天性悪のバランスにおいてどちらが主導権を持っているかと問われれば悪である、といえるだろう。しかし悪は善なしに成り立たないものであるが故の弱さも持つ。

だんだん書こうと思った題材から離れていくのでこのまま行くとエレベータの言葉が出てくる前に書き飽きる。ここらで戻すべきだろう。

エレベーターである。私の良く使うエレベータは二つあるが、そのうちのひとつはとてもシンプルで一台しかないものである。それは基本的に3つのステートを持ち、一つは上昇中、ひとつは下降中、ひとつは停止中である。それ以外は事故停電のような特殊な状態と特権モードの移動くらいだろうか。
そのステートに対し、外の各フロアの上下ボタンと中のフロアボタンの入力系と、それに対するルールをつけて動作させるわけだ。そのルールはシンプルに見えて書き出すとそれなりに制御といえるくらいに難しい。
たとえば下ボタンを押して入った後に上のフロアしか押されなかった場合はどう動くのか。

ともかくそれでも基本ルールはシンプルで、上ステートなら自分より上の上方向の処理がすべて処理されるまで上へ向かい、下なら下を処理する。

しかし、もうひとつの私が良く使うエレベーターは6セットあり、より複雑な処理をしている。
ボタンを押すとどのエレベーターが来るかわかるようになっており、さらに下なら下のランプが、上なら上のランプがつく。
その両方が押されたら別々のエレベーターがそれを処理する・・・のが自然なのだが
なぜか、しばしば同じエレベーターが上下のランプをつける。

それが下から来た場合、この階に止まって上へ向かい、そしてそれが降りてはじめて下に向かう。その間、どれだけ下ボタンを押そうともそのエレベーターしか来ない。唯一の例外は別のエレベーターにこのフロアに向かう人が居てかつこのフロアで空になった場合だけ、である。
もしそのエレベーターが来なかったらどうなるのか。
悪意があればエレベーターは開けっ放しにして止めることが可能である。
まあ監視されているから普通はやらないにしても、上に向かったエレベーターが予想より戻ってくることが遅いことはある。というか込み合う時間は往々にしてある。
それだけ待ったエレベーターが一杯で、通り過ぎてからボタンを押したらこのフロアで止まっていたエレベーターが開く、ということすらある。

これを性善説的な動作だと思っていたが良く考えると間違いで
ただ知性が不足しているだけだろうと思う。

素人にうるう年の計算をさせてはいけないのと同様に、半可通にエレベーターの制御をさせてはいけない。エレベーターの理論はかなり進歩しているのだ。

外の入力をフロア入力させればよりよい制御が可能であろうが、いまさらそれだと乗ってからボタンを変えられるかどうかで難しくなりそうだ。
RFIDでもつけて人数まで把握して処理してやればさらにいいのだろうが。



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