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考えることの楽しさと辛さ。

portal2クリア。割とあっさりと、だけど濃密な。
途中天井をしばらく眺めたりしたけれど。

私の部屋の壁が白で、幾何学的な直線と面で構成されていて
考えるのに向いているんだよね。

よく考えて作られているっていうのは感じる。
そこの上で考えること、っていうのは
「製作者との戦い」という古い時代のゲーム性を思い起こさせるけれど
安易にそこに落とし込まないほうがいい。
「こういうの考えるの好きでしょ、楽しいでしょ」っていうのを
本当に真剣に考えて、検討して作ってある。

ちょっとでもパターン化されて飽きそうになったら
そこを引っ張らずに場面コントロール。
だからほとんど一本道で、素直なパズルなんだけど
考えることの戦いではない側面が良く出ている。

リアルの、考えることってのは楽しいことばかりではない。
解けないかもしれないと、解いても進まないかもしれない。
何度も解いて何度も無駄にして疲れてしまったときに
考えるのを辞めたくなる。

そんなときに考えることの楽しさを突きつけて
その楽しさを考えることの楽しさも見せつけて

どうしろっていうんだ、と。

どうにかしたい。

それを考える。

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いである

ゲームが他を意識するものでありながら尚理想のゲームのひとつとして脳内ゲームがある。
脳内で他者すら作り出しゲームが行われる。
それが純化されていけばいくほどルールの存在も無くゲームとなる。
つまりゲームをしているときの自分が再現されればゲームは要らない。

自らの死を以って最高のゲームとする、というのは
人生がゲームであるということを意味するのではなく
ゲームが要らなくなる状態=死こそが
最も完璧な私にとってのゲーム状態ではないかということである。

何とかゲームをしているときの自分を脳内でゲーム無しに
再現しようとしているのだがなかなか上手くいかない。
だから世の中にはこんなにゲームがあるのだろう。

でもいつかきっと。

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深く入るタイプのゲーム

ダイブっていう感じ。
外界から遮断されて潜っていく。
息をしているかどうかも分からないくらい。
終わるとまず伸びをして息を継ぐ。

連休の引きこもりにはぴったり。

運悪くPSNが逝っちゃったからなぁ。
一人ゲーになってしまった。
ようやく「近日中」って出たけど。

さて寝る前にもう一回・・・

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